私の中で未だに忘れられない接客がある。あるジュエリーブランドの銀座ブティックでの体験だ。
見るからにゆったりとした優雅な雰囲気を醸しだしている40代の男性スタッフで、少々位負けしてしまいそうな印象を持ってしまうが、それを裏切る謙虚な姿勢で話しかけてきてくれる。こちらのペースに合わせて決して焦らせない。その意外性がまず驚きであった。あれこれ見ながらおずおずと「このリングがシンプルで素敵ですね」とこちらからいうと、トレイの上にすっとそのリングを出して見せてくれた。そこからのトレイの上のリングの動きはまさしく魔法だった。指の動きひとつひとつがさりげないようで、リングの最も美しい角度を知っていて、リングが自ら語りるかけるかように輝きを放たせる。心地よいストーリーが耳から入ってくるが、いつの間にかそのハーモニーで目はリングの動きに釘付けになっていた。先ほども別のブティックで同じリングを見たはずなのに、全く別物としか思えない魅力を醸しだし、”こんな素敵なリングはここでしか買えない!”
と思っている自分に驚いた。その瞬間すっと、「全身鏡で身につけたところをご覧いただくのが一番ですよ。」とエスコートしてくれて、それをつけた自分は別の自分になっているように思えた。「見せる」のではなく「魅せる」という接客である。
「高額なので一度考えてみます。」と買いたい衝動をぐっと抑えて伝えると、「左様でございますね。では、私本日7時まではこちらにおりますので、それまでゆっくりお考えください。」と後余韻までしっかり考えた対応だった。数時間考えたが、「どうせ買うならあの人から買うのが一番の贅沢だ」とい
う確信を強くして、お店に引き返すことになった。そのくらい心をつかむ接客だった。
実はその人は店長で、後日研修でお会いすることになるのだが、その話をすると店長から返ってきた言葉は以下の通りだった。
「私は一言で言えば銀座のお客様に相当鍛えていただきました。銀座という場所は厳しい基準を持ったお客様ばかりです。そのお客様に認めていただ
くには、普通のことをしていてはとうてい無理です。研究に研究を重ね、どうすればもっと洗練された接客になるのか、奥深い接客になるのか、そして喜んでいただける接客になるか、考え続けなければなりません。それを何十年も考えてきた結果が今のような接客スタイルになっています。私はこの銀座という場所で働
くことに誇りを感じています。もちろん観光客の方、若い方もいらっしゃいますし、そういう方からも学ぶことは多々あります。ある意味一客一客が真剣勝負だからこそ、やりがいがあります。」
まさしくアート(芸術)と感じた接客を創り出していたのは、そういう信念からだったのだと気づかされた。
ところが、残念なことに、その店舗では他のスタッフの売り上げが伸び悩んでいたのである。その理由としては以下のことが考えられる。
- あくまで店長だからできる接客であって「とうてい自分には真似できない」とスタッフが思い込んでいる。また、価値観が多様化する中で、そこまでの努力を必死に行うほどの動機づけができない。
- 店長自身も「具体的に何をどうすれば自分に近づけるのか」をステップ化して説明できない。
- 店長が高い売り上げを一人で上げるので、スタッフはそのフォローで満足してしまう。
- 店長は売り上げ責任が最優先するので、どうしても個々のスタッフのマネジメントが希薄になる。
しかし、一番の問題はある時つぶやいた店長の心の中にあった。
「お客様にご満足いただくためのパッションは長年誰にも負けないと思ってやってきました。しかし、スタッフは自分で選んで採用しているわけではなく、正直あまりに考え方が幼くて驚くこともあります。それをいちから育成するというのは私にとっては気の遠くなることです。お客様はしっかり対応すると
応えてくださるし、それが結果となって跳ね返ってくるので大きなやりがいになります。しかし、スタッフは今日注意したことが、明日できていない。、時折むな
しくなります。本当のところ、販売に向かっている方が自分らしくやれます。私は店長には向かないのかもしれません。」
自分と異なる価値観・スキルのスタッフを育成する仕事は、“忍耐”が伴う上に感情も入り込んでくるため、ケースによっては大きなストレスともなる。お客様は“合わない”となれば、相互に離れられるが、スタッフとの関係はそう簡単にいかない。カリスマであればあるほど求める基準が高い分、その
ギャップが大きいのではないだろうか。しかし、店長自身も最初からカリスマ的に売れたわけではなく、努力した結果であると同様、育成も最初からうまくいくのではなく、研究を重ねることが必要である。それができるかどうかは、最終的に店長の育成に対する「パッション(情熱)」が影響する。店長はカリスマ販売員としての自分のビジョンは
鮮明に描けるが、スタッフが生き生きと働くビジョンを描けないまま店長業務を行っていることで、自分の中に大きな葛藤を抱えてしまった。店長になるには、やはりそれだけの“覚悟”が必要なのだと改めて気づかされたつぶやきだった。
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